地球外経済を支える宇宙空間の商標
著者: Clark W. Lackert氏、Carlton Fields社株主、米国ニューヨーク
地表から離れた場所での商業活動が、高度約2,000キロの地球低軌道、月、そして火星で拡大しています。この重要な局面で、現在は法的に「誰の物でもない」宇宙における法的規制の空白を埋める必要性は、ロケットが打ち上げられるたびに高まっています。
例えば、宇宙空間における商標については、何十年も議論されていますが、宇宙旅行が始まった1957年から進展がありません。現在は複数の国が宇宙空間を移動し、地球軌道上のホテルや月および火星での都市の建設が計画されています。こうした中、地球外が無秩序状態に陥ることを回避するために、宇宙空間の商標に関する法制度を早急に整備する必要があります。
本稿では、現在の法的状況、ワーキングモデルの原則とパラメーターに加え、このプロセスでWIPOが果たすことのできる重要な役割について説明します。国際条約と国内法で設定された権利は、裁判所、契約、仲裁、調停を通じて行使される必要があります。ここでは商標のみを検討しますが、これらの原則は特許、著作権およびその他の知的財産(IP)権にも適用することができます。
現在の状況: 探査から商業利用へ
宇宙空間ではすでに競争が激化しています。人類初の宇宙旅行を行ったロシア連邦および独立国家共同体の一部の構成国 (旧ソ連) と米国は、1950年代後半から1960年代にかけて宇宙開発に乗り出しました。これが有名な「宇宙開発競争」です。現在はこうした国々に、中国、欧州宇宙機関 (ESA) 、インド、イスラエル、日本などが加わっています。
エジプト、インドネシア、イラン、マレーシア、パキスタン、韓国、サウジアラビアなどでは新しい宇宙計画が進められています。さらに、民間セクターによる宇宙飛行も増えており、ヴァージン・ギャラクティック、スペースX、ブルーオリジンなどの企業が、国際宇宙ステーション (ISS) およびその後継機などの政府間の取り組みと連携して、活動を活発化させています。
2021年はなぜ1957年と違うのでしょうか。宇宙開発には、政府から官民パートナーシップ、民間へという大きな流れがあります。つまり、宇宙開発は探査から商業利用へと発展しています。もちろん地球上の国々は宇宙探査を続けるでしょうし、宇宙探査は全人類に恩恵をもたらすと一般に考えられています。しかし、もはや地球外で実際に起きていることを看過するわけにはいきません。
地表から離れた場所での商業活動が拡大している、この重要な局面で宇宙における法的規制の空白を埋める必要性は、・・・ロケットが打ち上げられるたびに高まっています。
宇宙空間に対する既存の国際的アプローチ
宇宙空間における物理的資産 (宇宙船や衛星など) の法的地位は、国連、二国間および多国間の協定、国および政府間の宣言、国際委員会のイニシアチブ、非政府組織による研究などで繰り返し取り上げられてきたテーマです。しかし、無形資産、とりわけ知的財産の法的地位については、国際的な合意が得られていません。
国際的に認められた地球と宇宙空間との境界線は、地球の平均海面から高度100キロメートルに引かれた「カーマン・ライン」ですが、地球と宇宙空間の境界を定めるという考え方は、広く受け入れられてはいません。例えば、米国は一貫してそうした境界線を認めず、宇宙物体またはその構成要素に関して宇宙空間で行われ、使用され、あるいは販売された宇宙空間の発明に対し、米国の管轄権または管理下で自国の特許法を適用しています。
国連宇宙条約 (1967年)
「月その他の天体を含む宇宙空間の探査および利用における国家活動を律する原則に関する条約」 (1967年) は、独立国による宇宙の探査・調査活動に対処するために起草されました。この条約の目的は、そうした活動が「すべての国の利益のために」行われるようにし、「全人類に認められる活動分野」とすることです。この集団的な精神は、宇宙空間に関するその後の条約でも共有されています。したがって、財産所有と領土統治に関するパラメーターは、こうした合意には欠如しています。この条約は、宇宙空間が主権の主張によって (すなわち使用、占拠またはその他のいかなる手段によっても) 国家による取得の対象とならないことを明記していますが、商取引を規制する方法として、商標の保護に対応するようこの条約を適応させることができるでしょう。この条約を反映した新しい合意として、宇宙探査に関する基本原則を定めた「アルテミス協定」が2020年10月に締結されました。
国連宇宙救助返還協定 (1968年)
「宇宙飛行士の救助及び送還並びに宇宙空間に打ち上げられた物体の返還に関する協定」 (1968年) は、ある国家の人または財産が別の締約国によって発見された場合に、当該国に確実に返還されるようにするため、国連によって批准されたものです。この協定は、宇宙飛行士を安全に送還させることを主な目的としていますが、(1) 宇宙空間から救出した、(2) 宇宙空間から落下し、別の国の領土に着地した、あるいは (3) 宇宙空間から落下し、公海で発見された財産の返還を義務付ける規定も盛り込まれています。
国連宇宙損害責任条約 (1972年)
「宇宙物体により引き起こされる損害についての国際的責任に関する条約」 (1972年) には、物理的財産に関する明確な紛争解決規定があり、宇宙空間での活動に適用される、知的財産権の権利行使制度の土台になると考えられます。具体的には、当該「打ち上げ国」に損害責任を負わせ、(i) 宇宙物体の打ち上げを行う、または行わせる国、および (ii) 宇宙物体が打ち上げられた領域または施設に基づいて、各国が「打ち上げ国」の権利を主張できることを規定しています。この条約は、ある特定の打ち上げで関係を共有していることを根拠に、1つの物体について複数の国が「打ち上げ国」に分類されることを認めており、連帯および分担責任の主張、ならびに従来のコモン・ロー上の不法行為損害の仕組みに類似する寄与責任の主張を認めています。
すべての国は、人類の宇宙への旅を妨げることなく宇宙空間における商標その他の知的財産権を保護し、権利を行使するための、バランスの取れた秩序ある仕組みから恩恵を受けることになるでしょう。
国連宇宙物体登録条約 (1975年)
「宇宙空間に打ち上げられた物体の登録に関する条約」 (1975年) は、宇宙空間に打ち上げられた物理的物体の正式な記録システムを確立することで、管轄をある程度明確にしています。ここでは、商標登録と関連する可能性があります。
国連月協定 (1979年)
「月その他の天体における国家活動を律する協定」 (1979年) は、月およびその他の惑星または宇宙の地表における活動に焦点を当てています。この協定は、月においてモノやサービスの取引が発生した場合に、モノやサービスの流れを規制・管理するための枠組みとなる可能性があります。例えば、輸出 (ある国の月施設からの出発) 時と輸入 (別の国の月施設への到着) 時に管轄が確定するでしょう。
国際宇宙ステーション (ISS) 協定 (1998年)
「国際宇宙ステーション政府間協定」は、国際宇宙ステーション (ISS) 内で行われる活動に現在参加している15カ国により署名されています。この協定は、参加国が管轄権をISSに拡大し、これによりISSの別々の加圧モジュールに対応する国別ゾーンの設置を認めています。ISS協定は、知的財産の保護を目的に掲げた初めての協定で、特許および営業秘密の従来の保護に加え、表示手続きまで規定されています。管轄は知的財産に関連する活動の場所によって決定され、具体的には、所定の時刻に国の特定のISS活動の管理下にあるポッドまたは特定のエリアになります。
海洋法
公海に関する国際法および国際慣習は、宇宙空間における活動を規制するための理想的なモデルとして、しばしば引き合いに出されます。これは、海にはいずれの国の主権も及ばないためです。最も広く知られているのが「海洋法に関する国際連合条約 (UNCLOS)」 (1982年) です。この条約は、内水、領海 (基線から12海里までに対する国の管轄権)、税法、入国管理法、環境法、関税法が執行される接続水域、および天然資源の利用をめぐり激しい対立が生じている200海里の「排他的経済水域」の概念に基づいて、海の「領土」を定めています。
知的財産と宇宙空間に関する国際的な議論の機は熟している
上述のとおり、国際連合の協定や宣言、各国政府による合意や法制などの形で、宇宙空間の物理的財産に関する様々な法律が存在しています。これらの法律は、宇宙空間における商標の規制に関する有益な基礎となる可能性があり、国内法、国際慣習、国際条約、国際専門機関と組み合わせて、規範やプロセスを制定することができるでしょう。宇宙空間での商業活動が拡大する可能性を考えると、各国政府が既存の知財保護を宇宙空間に拡大するための明確なロードマップを検討する機は熟しています。最初のステップとして考えられるのは、WIPOによる2004年の優れた調査「Intellectual Property and Space Activities (知的財産と宇宙活動)」を更新し、この調査の発表以降大きく変化した2021年の状況の分析を追加することです。また、行動計画を実施する方法について、具体的な提言をこの調査に盛り込むこともできるでしょう。次のようなアプローチが考えられます。
- アプローチNo. 1: マドリッド協定議定書の拡充
商標の保護を宇宙に拡大するための最も簡単な方法は、現行のマドリッド協定議定書を利用することです。マドリッド協定議定書はWIPOが運営管理し、現在の加盟国は109カ国で、125カ国を対象としています。新しいプロトコルを条約に追加し、加盟手続き (第14条) を改定して宇宙空間におけるエリアを管轄にすることができるでしょう。そのようなプロトコルは、商標の保護を地球の軌道、月、火星に拡大することができ、各加盟国はこれを承認または却下することができます。このプロトコルは「工業所有権の保護に関するパリ条約」 (1883年) に反映させる必要もあるでしょう。逆に、この新しいプロトコルは、参加国が地球に関して利用できる保護を地球外に拡張することも可能です。例えば、インドが「標章の国際登録に関するマドリッド協定議定書」の下で付与された権利を、地球を周回するインドのホテルに拡大することを宣言することが考えられます。
- アプローチNo. 2: 商標保護のための新しい条約
もう1つの選択肢は、ISS条約の知的財産セクションのような、商標を対象とする新しい条約を制定するか、上述した既存の条約を修正して、地球外の商標を含めることです。そのような条約は、商標その他の知的財産権の地球外での利用に関して、保護の範囲を明確にし、裁判所や仲裁委員会による審査など、適切な執行の仕組みを規定することができます。上述の条約の一部は、すでに物理的財産を保護しており、単に修正するだけでよい場合もあるでしょう。
世界は21世紀版の『新たな狂騒の20年代』に入り、地球の軌道、月、火星について、少なくとも基本的な知的財産の枠組みの設定が必要になるでしょう。
WIPO仲裁調停センターの役割
新しい権利が設定された場合、その権利はどのように執行することができるでしょうか。宇宙空間で機能する裁判制度の確立は非常に大きな課題ですが、比較的容易に達成できる現実的な解決策もあります。地球の領土に関しては、準拠法および裁判管轄の選択条項、調停、仲裁は直ちに発効します。WIPOが作成した「ドメイン名紛争統一処理方針 (UDRP)」は、インターネットのドメイン名に関する紛争を裁判所での訴訟を行うことなく解決するもので、物理的な実体がない場合の紛争処理制度の好例です。WIPO仲裁調停センターは、UDRPに基づいてサービスを提供する主要な機関で、「サイバー空間」以外に特定国の管轄地がない仮想のオンライン・パネルを頻繁に組織し、ドメイン名紛争の裁決を下しています。
まとめ
世界は21世紀版の「新たな狂騒の20年代」に入り、地球の軌道、月、火星について、少なくとも基本的な知的財産の枠組みの設定が必要になるでしょう。最初のステップとして考えられるのは、政府間組織によるハイレベルな研究の実施です。WIPOはそうした研究を行う理想的な組織といえるでしょう。次のステップでは、マドリッド協定議定書を改定するか、商標に特化した、または知的財産全般を対象とする新しい条約を制定することが考えられます。すべての国は、人類の宇宙への旅を妨げることなく宇宙空間における商標その他の知的財産権を保護し、権利を行使するための、バランスの取れた秩序ある仕組みから恩恵を受けることになるでしょう。
WIPO Magazineは知的財産権およびWIPOの活動への一般の理解を広めることを意図しているもので、WIPOの公的文書ではありません。本書で用いられている表記および記述は、国・領土・地域もしくは当局の法的地位、または国・地域の境界に関してWIPOの見解を示すものではありません。本書は、WIPO加盟国またはWIPO事務局の見解を反映するものではありません。特定の企業またはメーカーの製品に関する記述は、記述されていない類似企業または製品に優先して、WIPOがそれらを推奨していることを意図するものではありません。