シンガポールにおける知財ファイナンスの推進*
著者: Andre Toh氏、アーンスト・アンド・ヤング・エルエルピー、ASEANバリュエーション・モデリング & エコノミクス部門リーダー、シンガポール
*WIPOレポートの新シリーズの第1回目として、WIPOは最近シンガポール知的財産庁 (IPOS) と提携し、知財ファイナンスを推進するシンガポールの取り組みをお伝えしました。レポートを執筆したAndre Toh氏が、企業の知的財産資産の可能性を最大限に引き出すことを支援する、多面的なエコシステムを構築したシンガポールの経験を紹介します。
世界経済はますますイノベーションと無形資産 (IA) に牽引されるようになっています。Brand Finance社の2020年のGlobal Intangible Finance Tracker (世界の無形金融の年次レビュー)によると、テクノロジーの様々な分野で無形資産が急増し、現在、無形資産の価値は世界全体で65兆米ドルを超えています。
特許、商標、 and 著作権などの知的財産 (IP) 権は、データやノウハウ、ブランディングと共に、無形資産を構成する主要な要素となっています。企業価値はますます無形資産と知的財産を基盤とするようになり、企業がこうした資産から資金を調達する能力は、事業価値を高め、企業の成長を推進する上で極めて重要です。
シンガポールは知財ファイナンスに全体的アプローチを採用
シンガポール政府は、知的財産を積極的に保護、管理、商品化する企業をサポートする取り組みを強化しています。この目的のために、同政府は2013年に知財ハブ基本計画 (IP Hub Master Plan)を発表し、シンガポールを知財活動の国際的なハブと位置付けました。2017年には、同国の経済戦略に合わせて知財ハブ基本計画を見直し、更新しました。更新内容は、知財分野の専門知識の拡充、知財の商品化および知財を利用した資金調達の推進、知財関連のマーケット情報に関する透明性の向上などです。
知財ハブ基本計画およびその改定に基づき、2021年にシンガポール政府はシンガポール知財戦略2030 (SIPS 2030) を発表しました。この戦略の3つの柱は、第1に、知財活動および知財取引の国際的なハブとしてのシンガポールの地位の強化、第2に、革新的な企業の誘致と育成、第3に、知財分野の雇用の創出とスキルの開発への懸命な努力です。
シンガポールはそもそも有利な立場にあります。同国には国際的に認められた世界トップクラスの知財エコシステムがあり、企業による知的財産の保護、管理、商品化を可能にする法規制インフラの整備が行き届いています。また、国際基準に基づく財務報告および評価の枠組みも導入されています。シンガポールには3万6,000社を超えるスタートアップ企業やテクノロジー企業が拠点を置き、革新的な企業の集積数は増加し続けています。さらに、シンガポールの知財エコシステムは、金融機関、民間銀行、評価人、コンサルタント、弁護士など、知財サービス・プロバイダーの包括的なネットワークで構成されています。知財関連の政府機関と産業界のステークホルダーとの官民パートナーシップが、引き続き知財エコシステムを強化しています。
シンガポールは知財の豊富な企業に様々な資金調達オプションを提供
知財を豊富に有しているシンガポールの企業は、主に株式発行による資金調達、借入による資金調達、政府の補助金を通じた資金の調達を目指します。
シンガポールの事業環境は、革新的な企業がエンジェル投資家やベンチャーキャピタルによる株式投資を求め、資金を確保することを可能にしています。2019年のベンチャー投資額は134億シンガポールドル (約98億米ドル) を超え、前年比で36%増加しました。
シンガポールでは、知財を担保とする借入による資金調達はまだ比較的歴史が浅いものの、2014年に政府は知財資金調達スキーム (IP Financing Scheme、IPFS) を試験的に導入しました。このスキームの下で、政府は知財評価費用を補助し、スキームに参加する金融機関と共に、知財担保ローンがデフォルトになる可能性についてのリスクを負担します。この試験的スキームは、知的財産を資金調達の担保として利用することへの認知度を高める効果がありました。
シンガポール企業庁が導入した、企業資金調達スキーム - ベンチャーデット・プログラム (Enterprise Financing Scheme-Venture Debt Programme、EFS-VDP) など、政府によるその他の保証や出資も、無形資産中心の革新的企業の成長を加速させました。このプログラムでは、1申請者当たり800万シンガポールドル (約580万米ドル) の資金を調達することができます。
知財ファイナンスは長期的な取り組み
こうした施策が実施されているにもかかわらず、知財ファイナンスにはいくつか課題があります。知財ファイナンスは長期的な取り組みであり、シンガポールは引き続き、国際的なパートナーなどのステークホルダーと協力して、こうした課題の克服に努めます。
重要な課題の1つは、金融機関が企業に融資する際、知的財産を担保として利用することに依然として難色を示すことです。多くの金融機関は、知的財産を担保として利用することに不慣れで、社内で知的財産を評価する能力がありません。この課題に取り組むために、シンガポール政府とシンガポール評価鑑定人協会 (Institute of Valuers and Appraisers of Singapore、IVAS) は、国際的に認められる知財評価の標準ガイドラインを策定する計画を進めています。ステークホルダーはこのガイドラインを利用することで、知的財産の価値について理解を深め、知財の評価方法に対する信頼を高めることができるでしょう。その結果、イノベーション主導型企業の知財ファイナンス活動が活発化すると思われます。
知的財産には流通市場がないため、しばしば流動性の低い資産とみなされることも金融機関は懸念しています。こうした懸念に拍車をかけているのが、流動性の低い知的財産は、経営不振に陥るとその価値や処分の可能性が大きく低下する可能性があることです。この懸念を払拭するために、シンガポール知財戦略2030では、取引所などのプラットフォームや取引先などのコネクションを通じた取引の促進によって、企業が知的財産を商品化する機会を増やす予定です。これにより、知的財産の流動性と資金提供者への魅力度を高めることを目指します。
情報の非対称性もシンガポールにおける知財ファイナンスの課題の1つです。一般に、重要な知財情報は企業の財務報告で開示されません。このことが、知的財産の価値の寄与度を適切に評価することと、資金調達プロセスの妨げとなっています。こうした状況を生み出しているのは、シンガポールの企業間で知的財産の管理手法に差がある結果、知財資産を管理・保護し、知財資産から価値を引き出すことへの認識と能力が不足している企業があるためです。そこで、シンガポール知的財産庁 (IPOS) と会計企業規制庁 (ACRA) が省庁間委員会を設置し、産業界のワーキング・グループと緊密に連携しながら知財開示の枠組みを構築し、企業が資金提供者を含むステークホルダーに対し、知的財産などの無形資産に関する情報をより効果的に発信できるよう支援しています。その目的は、知財ファイナンス活動をさらに推進することです。
まとめ
シンガポール政府は、知的財産および無形資産関連の活動の国際的なハブとしての地位を強化するというビジョンを掲げ、このビジョンを支援する一連のプログラムやイニシアチブを導入しています。特定された課題をもとに、課題克服に向けた必要な措置を講じるための堅実な全体的アプローチを取り入れ、シンガポール知財戦略2030を策定しました。この戦略に基づき、関係政府機関は産業界および国際的なパートナーと緊密に連携しながら、知的財産に対する理解を深め、知的財産の開示と評価を改善し、企業が知的財産資産の価値を活用できるよう支援します。
本シリーズおよび「知財ファイナンスの推進: 国別レポート: シンガポールの取り組み」の全文をご覧いただけます。
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