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映画に対する日本の革新的な貢献

2014/05/02

WIPO日本事務所は今年の世界知的所有権の日(テーマは「映画:グローバル・パッション」)を祝して、日本がこれまでに行ってきた映画に関するいくつかのイノベーションと私たちが愛する映画に貢献してきた歩みを見ていきます。

豊かな遺産

日本の映画に対する情熱は古くからしっかり根ざしていました。1897年にシネマトグラフ(リュミエール兄弟 より開発され特許を取得)が渡来されるより遥か前より日本人は写し絵という様式によって幻灯機や自動幻灯(鏡とガラスのスライドを組み合わせた光源を用いる)によって投影された動く絵を使用していました。

映画が日本に渡来するより前から、写し絵または幻灯機(子供たちよって親しまれている様子)は日本全国で人気がありました。 (写真: Alan Davey [CC-BY-SA 2.0])

シネマトグラフの渡来は、その後、日本映画産業の急速な発展への引き金となりました。20世紀前半の大部分において、日本映画は歌舞伎(踊りを取り入れた古典芸能)など日本伝統芸能よりかなり大きな影響を受けていました。実際、映像と音声が同期した「発声映画(トーキー)」と呼ばれる映画が開発される前に、日本の映画産業は活動弁士(ナレーター)や音楽と音響ために演奏者が存在する歌舞伎を真似て、全て生演奏で上映されていました。このような人気を博した上映の形は「トーキー」が日本に到来後も続き、1940年代初頭まで多くの観客を魅了し続けました。

日本映画は経済に付加価値を付ける

やがて弁士は同期された音響や映画音楽にその座を譲り、日本の監督、脚本家、プロデューサーや俳優たちはそれぞれの技術をより一層磨き上げ、日本映画産業は発展し洗練されてゆきました。今日、映画産業は年間650億USドル以上も日本経済に貢献し、8万8千人以上もの従業員が従事し、日本のGDPの0.53%を占めています。

その他、付随的に生み出される経済的効果には、商標登録された映画のタイトルやキャラクターなどといった保護された映画の素材から多くの収益をもたらすライセンスや物販契約が含まれます。同様に、商標保護によって支えられているプロダクト・プレースメント合意は広告とマーケティングで益々主流かつ説得力ある広告手段になり、映画に映り込んだ消費者製品の需要を促しています。映画ロケ地も人気の高い観光地として地域経済に重要な貢献をしています。この間接的な興行収入は年間700億USドル以上も日本経済に資し、観光、製造、サービス、輸送などの産業に利益をもたらしています。

革新的な技術

日本で最も偉大な映画監督の一人とされる小津安二郎(1903-1963)は映画製作において今日でもまだ活用されている革新的な技術を数々と開発しました。小津が映画業界で働き始めた当初、映画はカメラマンの肩越しから撮影されるのが典型的な方法でした。この方法は遠くから映画を見ているような感覚を視聴者に与えました。小津安二郎は、観客がより親密感を感じられるよう、新しい技法を取り入れたのです。カメラを地面からおよそ60センチぐらいの位置に配置することで、小津は観る者がまるでその場面の中心に居るかのような感覚を与えました。この技法はすぐに同業者の心を捉え、今なお日本及び国外の映画業界において一般的な技法として用いられています。

先駆者であった小津は、世界の映画製作で常識となった更なる二つの革新的技法、いわゆる省略法とカットつなぎの使用を開発しました。省略法とは、文学作品のように、それを実際に描くことなくあらすじの構成が次へと進んでゆく技法です。具体的には、映画製作者が町祭りの様子を実際に撮影しなくとも、町の人々が行事の準備をしているシーンを撮影し、次にその翌日、町の人々が祭りの後片付けをしているシーンをただ配置するだけで町祭りがあったという出来事を表現できます。映画の筋書きにとってあまり重要でない特定の出来事を省くために、省略法が一般的に用いられますが、小津安二郎は何が起こったのか観客に想像力を働かせる為にこの省略法を洗練された形で活用されたとして知られています。

次回、彼の映画作品を観る時に場面の転換によく注意してください。場面が何回フェードアウトし、そしてビルのショットやパノラマな風景ショットといった静止した場面がどのくらい使用されているでしょうか。静止された場面の使用で、一つのシーンからもう一つのシーンへ移動(フェードアウト・ショットはむしろ使用せず)する方法は、小津安二郎作品の際立った特徴でした。彼の作品が世界各地で上映され、他の監督達もこの技法を採用したのです。例えとして、ベルギーの映画監督シャンタル・アッカーマンは、小津安二郎の技法を日本以外で初めて導入しました。その結果、1975年に製作された『ジャンヌ・ディエルマン、コメルス海外通り23番地』は高く評価されました。また、この映画が小津安二郎の革新的な映画技法を新しい観客層に届ける役割も果たしました。

世界の映画史上最も影響力のある映画製作者の1人とされる、日本の映画製作者、脚本家、編集者及び監督の黒澤明(1910-1998)は、世界の映画産業の形づくりに貢献をしました。黒澤明の繊細なまでに行き届いた配慮、とりわけ彼の時代劇の作品において、本物のセットにこだわり、実物の小道具や丁寧に編集された脚本などにいたるまで、彼は日本映画を新しい極致へと導きました。彼の大胆でダイナミックなスタイルと複数のカメラ装置を用いた破壊的な映像の描写は映画界の巨匠として国際的な評価を確実なものにしました。黒澤は映画で師弟関係の複雑さや格差階級、そしてヒーローの冒険物やヒーローが成長してゆく姿などを表現しました。彼の作品はロバート・アルトマン、スティーブン・スピルバーグやマーティン・スコセッシなどのハリウッド映画製作者達に多大な影響力を与えたのです。例えば、ジョージ・ルーカスは、1958年に製作された黒澤明の作品『隠し砦の三悪人』に感動し『スターウォーズ』(1977)のインスピレーション得ました。

日本の監督、黒澤明の革新的な技術は世界中の映画製作者達に影響を与えました。(写真: Michael Heilemann [CC-BY-SA 2.0])

新しいジャンルの創造

アニメとして知られる日本発の独特なアニメ映画は、日本で最も成功した映画をいくつか生み出しました。映画製作上で用いられた技術の進化は、日本の漫画に映画という新しい息を吹き込みました。『桃太郎 海の神兵』のように興行成績が良かった (1945)、や宮崎駿による日本で初めての長編アニメ映画『千と千尋の神隠し』 (2001)などは、世界中のファンに届けられました。今日において、アニメ映画は日本映画産業の興行収益25パーセント以上を占め、知的財産権で支えら収益をもたらすライセンスは更に経済効果を生んでいます。大人気アニメシリーズ『クラウファントムメモリー』のライセンスは各エピソードに対し100万USドル近い収益をもたらしています。このような利益が、世界的の観客に向けて更なるアニメの制作に貢献しています。アニメの二つのサブジャンルである『怪獣』と『メカ』は、長年その人気を不動のものとし『ウルトラマン』 (2004)、『クローバーフィールド』 (2008)、『パシフィック・リム』 (2013)や日本の古典的作品であるゴジラ映画シリーズの海外版など国外の映画製作プロダクションにも影響を与えました。

技術限界への実験

日本映画産業による映画への影響に加え、日本の発明者達は映画製作で用いられる機材を一変させることにも貢献しました。年月をかけてスクリーン品質が改善し、解像度はこれまで以上に高画質になりました。1900年代のスクリーンは1インチあたりの画像ピクセル数(ppi)が平均4000ピクセルでしたが、今日では200万ppi以上の高解像度スクリーンが一般的です。日本のイノベーター達も、映画製作においてセルロイドから離れデジタル技術を使用することでこの動きを支持しました。具体的には、日本企業のソニーは高解像度な映画用カメラにおける初期段階でのイノベーターであり、その機材が世界初の高解像度映画の1つとされる『ジュリア・ジュリア』(1987)で使用されました。デジタル・カメラへの移行に伴い、ソニー、パナソニック、キヤノンやJVCといった日本企業は、大手映画製作プロダクションで使用される最先端なデジタル映画用カメラと自主映画の製作スタジオでも入手可能な低コスト製品の両方を製造しました。これらの小型で費用対効果の優れたデジタル・カメラは限られた空間でのアングルカットで頻繁に使用されました。キヤノン製の映画用カメラは、2012年スーパーヒーロー超大作『アベンジャーズ』での撮影に用いられました。

日本企業は映画製作用のさまざまな最先端製品を製作しています。(写真: Jakob Montrasio [CC-BY-SA 2.0])

松下、ソニーや東芝といった日本企業は、デジタルシーンを保存する為に用いる初期のメモリーカード技術をいくつか開発しました。高解像度、デジタルで映画化されたシーンをとらえる新型カメラレンズも日本で開発されました。このように特許で保護された技術で、日本のクリエーター達は映画製作の技術的進歩に貢献するとともに映画を見に行くという経験の質をさらに高めることにも貢献しました。

イノベーション:映画の発展を促進する

海外の映画製作者達が日本映画の革新的な要素を多く取り入れる一方、日本側は映画製作で使用するために、海外の同業社にも絶えず目を向け、映画用台車、照明器具、メイキャップ、セットの設営や実質的な映画のジャンルなど新しい技術、スタイルやデザインに注意を払っています。

1950年代に海外発の新技術とデザインが初めて日本に輸入され、伝統的な日本のシナリオと映画撮影技術とが結びついたとき、日本の映画業界は時を待たずして国際的な知名度を得るような映画を製作し始めました。日本映画は海外の映画ファンが異国情緒あふれる世界に触れることを可能にしたのです。海外から取り入れたイノベーションを使用した結果、技術的な品質が更に高められ、日本の映画製作者達が外国の人気映画と競い合える事を可能にしました。

日本と外国の技術が融合し、優れた作品を生んだ最初の映画が、1953年の受賞作品『地獄門』で、1954年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、1955年の米国で行われたアカデミー賞で外国語映画賞の名誉賞を受賞しました。『地獄門』は日本映画業界の新しい幕開けを意味し、その後『七人の侍』(1954)、『ゴジラ』シリーズ(1954~2004)、『乱』(1985)『バトル・ロワイヤル』(2000)、『おくりびと』 (2008)や『風立ちぬ』(2013)といった質の高い映画が多く作られました。

映画における新たな展望

日本には、映画界におけるイノベーションの豊富な歴史があります。知的財産制度に伴う要因は、伝統と映画産業の発展の肥やしとなりました。世界の映画産業界に対し、日本の映画製作者達は映画における製作と作品の品質とさまざまな映画のジャンルを大衆に提供できることを可能にしたという両方の意味において、大いなる貢献をしました。知的財産制度のおかげで、映画製作に携わっている脚本家、俳優、ミュージシャンや映画監督といった多くのクリエーター達が、仕事で生計を立ててゆけるようになり、また映画を世に送り出すために、その視野と情熱が鍵となるプロデューサが映画を製作し、可能な限り多くの観客動員を確保できるような配給の契約を獲得するために必要な投資を取り込むことが可能になりました。日本のイノベーター、クリエーターと映画製作者達は、世界的な映画に対する情熱を紛れもなく勢いづけ、世界の映画に長きにわたる影響力を及ぼしました。