Matt Chiu氏

赤ちゃんをご機嫌に: おしゃぶりの特許取得と市場投入を目指す父親と、おしゃぶりを卒業した幼い娘

著者: Nora Manthey (WIPOマガジン編集者)

2025/03/13

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世界共通ともいえる「おしゃぶり」の特許が初めて登録されたのは100年以上も前のことです。おしゃぶりにはまだ再発明の余地があるのでしょうか?シンガポールに住むひとりの若い父親の例を紹介します。

Matt Chiu氏は、まだよちよち歩きの娘のAmberを「泥んこで走ったり転げ回ったりして遊ぶのが好きな子」と表現します。Amberはおしゃぶりを地面によく落とします。唾液まみれのおしゃぶりはあっという間に土埃が付着してしまうため、清潔にするまでAmberの手元には返してもらえず、それに気付いたAmberが少々かんしゃくを起こして泣き出すのが日常です。これを見た父親の頭にひとつのアイデアがひらめきました。

Hanabiiおしゃぶりを発明したMatt Chiu氏が緑豊かな戸外に座っている姿を側面から写している。彼は黒のシャツを着ており、ピンク色のHanabiiおしゃぶりを手に持ち、慈しむようなまなざしを向けている。
Matt Chiu氏
Matt Chiu氏。

おしゃぶりの特許の数は、WIPOのデータベースに収録されているだけでも2,000件近くにのぼります。「ビンキー」「スーザー」「ドゥーディー」などさまざまな呼称を持つこの小さな道具は赤ん坊と困り果てた親たちを魅了するだけでなく、発明家の心もひき付けてやみません。

赤ん坊の心を落ち着かせるための道具は早くも1473年に書かれた中世文学作品に登場します。ゴムやプラスチック、シリコンが発明される以前には、サンゴや象牙で手作りされたものや、甘味を染み込ませた生地を赤ん坊に吸わせていました。

赤ん坊の必需品であるおしゃぶりの特許が初めて登録されたのは1900年代初頭です。マンハッタンの薬剤師Christian W. Meinecke氏により、乳首と座板から成るモデルが1900年に米国意匠特許として登録されました (第33,212号)。その3年後には、Harvey Spencer氏により「baby comforter (赤ん坊をなだめる道具)」が特許登録されました (第745,920号)。最初に特許登録されたおしゃぶりは現代の私たちが想像するおしゃぶりとは異なり、チェスの駒のような姿をしています。それでも100年以上が経過した今もなお、この道具は発明家の想像力をかき立てています。Chiu氏もそのひとりです。

日常的な道具を再発明する

Amberとそのような日々を過ごしていたChiu氏は、シンガポール工科デザイン大学の博士号を所有する人物でもありました。2021年、彼は美しさと衛生面に配慮して設計した新しい種類のおしゃぶりを3Dプリンターで製作し、「Hanabiiおしゃぶり」と名付けました。

「発明者支援プログラムへの参加が認められると、シンガポール知的財産庁 (IPOS) は、特許取得プロセスを支援するプロボノの特許弁護士や弁理士とマッチングしてくれます。」

Hanabiiは日本語の「花火」を指します。さらに、これには「花」という字も含まれます。Hanabiiおしゃぶりのデザインは、「花火」「花」の両方の単語からインスピレーションを得たものです。

使用していないときは、花びらのような形状の柔らかいシリコンの羽根部分が乳首を包み込み保護します。赤ん坊がくわえると羽根が開いて花が咲くように口の周りに広がり、おしゃぶりが口から外れた (そして地面に落ちる) 瞬間に閉じます。この羽根部分のおかげで、ポケットやかばんの中でもおしゃぶりは清潔に保たれます。

ピカチュウの柄のシャツを着た幼児がピンク色のHanabiiおしゃぶりを手に持ち、花びらのような見た目をしたこのおしゃぶりを不思議そうに見つめている。
Matt Chiu氏

Cognitive Market Research社の調査によれば、赤ん坊向けおしゃぶりのグローバル市場の規模は2024年に4億米ドルを超えており、2024年から2031年にかけての年平均成長率 (CAGR) は6.00%を見込まれています。WIPOの特許出願データによれば、過去20年間 (2004年~2024年) の長期的なCAGRは約4.8%です。

WIPOデータベースに収録されているおしゃぶりの特許は約2,000件あります。このうちの少なくともひとつが、薬の投与を支援する目的で設計されたおしゃぶり (公開番号WO/2021/256976) です。韓国のある発明者は、おしゃぶりが組み込まれたマスクの特許を2021年に出願しました(出願番号第1020210037006号)。2017年に米国に特許出願された第15782851号では、使用者が乳首部分をくわえるとデータを送信するセンサーが付いた「スマートおしゃぶり」が説明されています。さらに、1986年に米国に特許出願された第06898188号では、内部に発光ダイオード (LED) が組み込まれており、親が暗い場所でも赤ん坊の口におしゃぶりを上手にくわえさせられるようになっています。

国際意匠登録のためのHague Express Databaseにおいても、「pacifier (おしゃぶり)」と検索すると赤ん坊の精神安定に関連する29件の意匠が該当します。これらはチョウ、ジャイアントパンダ、未来的なジョイスティックなどの姿をしています。

米国では「binky」という語がおしゃぶりと同義となっていますが、Playtex社は「Binky」を1935年に商標登録しています。商標の一般名称化は「genericide」と呼ばれ、ほかにも「Hoover (掃除機)」、「Kleenex (ティッシュ)」、「Zipper (スライドファスナー)」などの例があります。Playtex社はこれを根拠に、現在も自社製品を「元祖binky」であると主張しています。

おしゃぶりの保護

Hanabiiおしゃぶりが現在の姿になるまでに、30回以上の試作が重ねられてきました。唯一変わらなかったのはコンセプトだけです。Chiu氏は早い段階で知的財産 (IP) についての検討を始めました。自身の創作物を保護したいと思いながらも、その方法が分かりませんでした。

最初のHanabiiおしゃぶりのデザインを示す図面。白地に黒の線で描かれている。全体は花のような外観をしており、中央の丸い形状のおしゃぶり部分の周囲を取り囲むように花びらの部品が付けられている。
Matt Chiu氏
Hanabiiおしゃぶりの最初のスケッチ。

IPOS から届いた1通のメールがそれを変えました。IPOSとWIPOにより、まさにChiu氏が必要としていたような新プログラムが発表されたのです。彼は2023年にWIPO発明者支援プログラム (Inventor Assistance Program: IAP) に参加し、シンガポールからの参加者として初めて特許出願を行いました。

「私たちはPCT国際出願プロセスの間の時間を最大限に活用しようと考え、最大限の支援を受けました。」

「プログラムへの参加が認められると、IPOSがプロボノの特許弁護士や弁理士とマッチングしてくれます」とChiu氏は話します。このようなサービスには手が届かないのではないかと心配していた若い発明者にとって、これは「絶好のチャンス」でした。このプログラムにより彼は「心理的な障壁を打ち壊し、IPをもっと身近な存在にする」ことができました。

それでもこれが複雑なプロセスであることに変わりはありません。「ただ書類を提出するだけなのかと考えていましたが、違いました」とChiu氏は話します。そして、彼の担当弁理士であるマークス&クラーク・シンガポールのJames Kinnaird氏が「以前は非常に手ごわいと感じていたこの特許取得プロセスについて、多くの洞察を得る」ための手助けをしてくれたとも話します。

Chiu氏はまず、シンガポールで仮特許出願を行いました。「おおまかな請求項が記載された仮出願をまず行った」ことで、発明の保護への支援を早期に得ることができたと彼は話します。

同製品のマーケティングを行うHanabii社は次に、特許協力条約 (PCT) に基づく国際出願を行いました。これは、発明者が複数国での特許保護を一度に得られるようにするものです。

特許取得と市場投入への道のり

特許取得プロセスはHanabii社のビジネスモデルにおいて欠かせない部分であり、アイデアの感度を高めたり市場理解を深めたりするための「備え」のようなものだと話します。「私たちはPCT国際出願プロセスの間の時間を最大限に活用しようと考え、最大限の支援を受けました。」

「私たちの戦略では、2025年春にKickstarter社の世界的なクラウドファンディングキャンペーンを開始して製品への注目を集め、国際的なディストリビューターを探す予定です。」Chiu氏によれば、これによりHanabii社は注力すべき国や地域に関する「開かれた姿勢を保つ」ことができ、どの国で国内段階へ移行時するかの判断に役立つものと考えています。

IP保護は製品の市場投入の過程でも支えになります。「私たちがサプライヤー探しに着手したのは、シンガポールでの仮特許出願を終えてからでした。相手のサプライヤーとは秘密保持契約を締結しました。それ以前は、繰り返しのプロトタイプ製作を完全に社内でのみ行っていました。」とChiu氏は話します。

製品の保護の方法はこのほかにもあります。

  • 特許による保護を取得するためには、各国の国内および広域の特許庁へ個別の出願が可能です。出願ごとに手数料がかかります。国際的なレベルでは、保護を希望する各国の特許庁への特許出願を行うか、WIPOのPCT制度を利用して出願できます。

  • 商標保護についても国内および広域レベルでの登録が必要です。商標の国際登録を行うためにはWIPOのマドリッド制度を使用するか、製品の販売を希望する各国で出願を行います。

  • 意匠保護についても各司法管轄区域での登録が必要です。WIPOのハーグ制度を利用して意匠を国際的に保護できます。

Chiu氏はそのほかの方法によるIP保護も検討しています。たとえば、「Hanabii」という名称を育児用品の区分で商標出願することもそのひとつです。

「Hanabiiおしゃぶりは花のような独自の見た目なので、シンガポールでの意匠登録も検討の余地がありそうです。ただし、現段階では最優先事項ではありません」と彼は話します。

製品の変更で特許出願も変更に

Hanabiiおしゃぶりには過去2年間にわたって機能面の改良が加えられ、現在は小児歯科医と協力して改良の取り組みが続けられています。この小児科歯科医の支援により、歯科矯正機能のある乳首が製作され、おしゃぶりの花びら形部分には通気性向上のために孔が追加されました。また、米国のおしゃぶりと玩具の規制の下での試験を受けるため、同製品はテュフズード・シンガポールに送付済みです。

「それでも、私たちは自社の製品と市場を強く信じています。リスクに見合うだけの価値はあると考えています」

製品への変更が加えられるたびに、Chiu氏と担当弁護士は特許出願書類を修正する必要がありました。「特許請求の範囲の起草にあたっては、特殊な用語や詳細な部分に注意を払う必要があります」とChiu氏は話します。

繰り返し製作されたHanabiiおしゃぶりの試作品。同製品の複数のバージョンが格子状に並べられており、徐々に形を整えて細部が出来上がっていく様子がうかがえる。おしゃぶりは薄いピンク色をしており、繊細な花々が開花していく様子を思わせる。
Matt Chiu氏
繰り返し試作されたHanabiiおしゃぶりのプロトタイプ。

Chiu氏は現在も引き続き支援を求めています。当初の特許弁護士によるコンサルティング費用はIAPプログラムにより免除されましたが、出願にかかる費用や事務手数料は免除されません。Chiu氏によれば、それでもコストは大幅に削減されており、特に、コンサルティングのやり取りを複数回にわたって受けられ、IP保護をより確実にするために書類を推敲できたことは大きかったと言います。

仮出願からPCT国際出願のステージへ移行したことで、Hanabii社はこれまでに約4,000米ドルのコストを費やしています。「小規模な商業製品でしかもリリース前段階にあるものは、売り上げがゼロの状態です。このコストは決して小さいものではありません。それでも、私たちは自社の製品と市場を強く信じています。リスクに見合うだけの価値はあると考えています」とChiu氏は話します。

WIPOは2015年に発明者支援プログラム (IAP) を開始し、現在は9か国 (チリ、コロンビア、エクアドル、ケニア、モロッコ、ペルー、フィリピン、シンガポール、南アフリカ共和国) が参加しています。今年で10周年を迎える本プログラムはサービスの範囲を拡大しており、特許出願書類の起草から遂行までのサービスにとどまらず、商業化に向けた特許取得についてのガイダンスも提供しています。シンガポール知的財産庁 (IPOS) はこのプログラムを2023年に開始し、18歳から35歳までの若手発明者を対象に、IP保護に向けた取り組みの開始を支援しています。