今年のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞を受賞した革新的なイノベーションにより、砂漠地帯の大気から水を抽出することが可能になり、免疫システムの制御が解明され、これまで想像すらできなかった量子力学の作用が明らかにされるかもしれません。
これらの画期的なイノベーションを起こした高度な専門知識を有する発明家たちにより、特許協力条約 (PCT) に基づく出願が200件以上行われています、その多くは、各分野でノーベル賞を受賞する何年も前から出願されていたものです。今回、WIPOマガジンでは、関連性のある特許出願についてWIPOのPATENTSCOPEデータベースを使って追跡し、状況をより詳細に調査することにしました。
化学の力でより良い暮らしを実現
2025年のノーベル化学賞は、金属有機構造体 (MOF) の分子構成要素に関する研究に対して、北川進博士、Richard Robson博士、Omar M. Yaghi博士の3氏に授与されました。
スウェーデン王立科学アカデミーは、MOFについて、「水やその他の分子にとって、とりわけ魅力的で非常に広々としたワンルームマンション」と評しています。
受賞者たちが何十年か前に着手した研究を受けて、世界中の化学者が何万種類ものMOFを設計してきました。ノーベル賞の受賞理由によれば、現在では、MOFの技術によってさまざまな「化学上の驚異」が実現しており、とりわけ、二酸化炭素の捕集や有毒ガスの貯蔵、医薬品の送達が容易になったことなどが挙げられるとしています。
多様な用途があることは、特許出願にも反映されています。MOFに関連する特許の出願件数は、PATENTSCOPEデータベースで確認できるだけでも1万4,000件を超えています。こうした事実からも窺えるとおり、MOFは大きな関心を集めている技術分野なのです。MOF関連特許の出願国をみると、中国、米国、韓国、欧州諸国、日本からの出願件数が最も多いようです。
北川博士、Robson博士、Yaghi博士自身も、他の発明者と同様に、MOFに関連する発明に対して、特許出願を積極的に行っています。
新たな構造体を見つけ出す
英国生まれのRobson博士が、ダイヤモンドの構造からヒントを得て、MOFを形成する概念についての構想を練り始めたのは、オーストラリアのメルボルン大学で教鞭を執っていた1974年のことでした。しかし、ダイヤモンド構造をベースにした結晶構造を作り出すには、10年を超える年月を必要としました。
Robson博士は1989年に、その研究成果を公表しました。しかしながら、結晶構造の創造を目指す同氏の手法に確固たる土台を構築したのは、北川博士とYaghi博士による一連の革命的な発見でした。彼らがそれぞれ、このような革命的な発見を成し遂げたのは、1992年から2003年にかけてのことでした。
日本の化学者である北川博士の専門は錯体化学です。自身の研究成果に関する特許活動は1996年から開始し、1997年以降はPCTを積極的に活用しています。北川博士の発明に関する40件を超えるPCT出願のうち、4件がMOF構造の改良に関するものです。
Robson博士も同様に、研究と発明を続けました。Robson博士が関係している最近の注目すべき特許出願の1つとして、金属有機構造体を用いて麻酔薬を捕捉および保存する方法 (PCT/AU2017/050727) があります。ガス麻酔薬には揮発性があるので、関係者は露出の危険にさらされることになります。特許出願明細書によれば、MOFは送達をより正確にし、リスクを軽減することを目指しています。
Yaghi博士は、独自に、しかし並行して研究を進めており、3人の受賞者の中では最も多作な発明家と言えるかもしれません。同氏は、PCT制度を積極的に活用しています。
Yaghi博士はヨルダンに生まれ、米国に移って教鞭を執りつつ研究を進めています。同氏は非常に安定度の高い材料を開発し、1995年に、 Nature 誌の論文で「金属有機構造体 (metal-organic framework)」と命名しました。これは、銅かコバルトが結合した網目構造のものでした。
今日、Yaghi博士の名前は、350を超える特許出願に発明者として記載されています。そのうち72件の出願は、PCT制度を通じて行われたものです。同氏の最初期の発明の出願としては、2002年に出願された気体貯蔵への応用が可能なMOF (PCT/US2002/013763) があります。Yaghi博士はオーストラリア、スペイン、カナダ、オーストリア、日本、米国、ドイツで特許活動を行っています。
Yaghi博士の最新の出願の1つに、2024年に出願し本年4月に公開された、大気中の水分を捕集するための共有結合性有機構造体 (PCT/US2024/050115) があります。これは、「砂漠に花を咲かせることができる」類の技術です。
物理学の世界に飛躍をもたらす量子技術
2025年のノーベル物理学賞は、量子物理学の実験を行ったJohn Clarke博士、Michel H. Devoret博士、John M. Martinis博士の3氏に授与されました。受賞者の研究に対し、アカデミーは、チップでの実験によって「量子世界の奇妙な特性を実証した」と評価しています。これらの研究は、量子暗号や量子コンピュータ、量子センサーなどをはじめとする次世代の量子技術開発の基礎を成すものと考えられています。
3氏の研究の軌跡は、カリフォルニア大学バークレー校で実験を行った1984年と1985年に遡ります。彼らは、実験に着手して間もなく、発見内容を保護するために関連する特許の出願を開始しました。
近年では、20件のPCT出願でDevoret博士が発明者として記載されています (出願人は主にイェール大学)。例えば、Devoret博士の有名な発明の一つである超伝導回路によるハードウェア効率の高い耐障害性操作 ( PCT/US2019/012441 ) は、最終的に、カナダ、シンガポール、米国、中国、日本、欧州特許庁、韓国で特許出願されています。またMartinis博士が発明者として記載されたPCT出願は、2017年から2023年までの間に16件あります (出願人は主にGoogle)。Martinis博士が筆頭発明者でGoogleが出願人として記載されたPCT出願の例としては、量子コンピューティングシステムのための忠実度推定 (PCT/US2016/032917) に関する出願があります。この出願には、オーストラリア、カナダ、米国、欧州特許庁、日本、シンガポール、中国など、特許保護の主要市場が含まれています。
医学界での画期的な発見と特許保護
医学は特許活動が活発な分野です。2025年のノーベル生理学・医学賞は、「末梢性免疫寛容」、すなわち免疫系による攻撃を防ぐ仕組みの研究に対して、Mary E. Brunkow博士、Frederick J. Ramsdell博士、坂口志文博士の3氏に授与されました。
同研究について、アカデミーは「新たな研究分野の基礎を築き、がんや自己免疫疾患の治療法の開発を促進した」としています。この研究を巡って、特許を取得する動きが活発化したのは不思議なことではありません。
2025年の生理学・医学賞の受賞者である3氏は、PCT制度を積極的に活用しています。Brunkow博士は1999年以降、アジア、欧州、北米にわたる広範な保護を求めて7件のPCT出願を行っています。そのうち2件では、Brunkow博士とRamsdell博士が共同出願しています。Ramsdell博士はこれ以外にも7件のPCT出願を行っています。また坂口博士は 25件のPCT出願 に記載されており、1997年以降PCT制度を継続的に利用して、複数の国で特許保護を求めています。
出願された特許の中で注目されるものとしては、FOXP3タンパク質を用いた霊長類の免疫機能調節方法 (PCT/US2002/015897)、マウスのスカーフィー表現型を引き起こす遺伝子とそのヒト相同遺伝子の同定 (PCT/US1999/018407)、T細胞を共刺激するためにpHHLA2を使用する方法 (PCT/US2006/018540) などがあります。これらはすべて、今回のノーベル賞受賞の対象となった発見に直接的に関係しています。
今年のノーベル賞受賞者が辿ってきた道のりをみれば、協力と保護を支える枠組みによって、発見から実社会へのインパクト創出までのプロセスがどのようにして加速するかが分かります。2025年の受賞者は、PCT制度を利用することで、国境を越えて自身の発明の保護を求めることができました。同時に、生み出された知見が共有されることで、将来のノーベル賞受賞者につながるのです。
特許に関するすべてのデータは、WIPOのPATENTSCOPEデータベース上で、発明者名や化合物名で検索したものです (2025年11月時点)。受賞者とその研究内容に関するより詳細な情報は、報道情報および ノーベル財団のホームページ から取得した最新情報に拠っています。