ヘルステック、ライフサイエンス、バイオテックの分野では、さまざまなスタートアップ企業や中小企業 (SME) が技術開発に取り組み、医療サービスのあり方を変えようとしています。しかし、着想から市場投入までの道のりには多くの困難があります。彼らは、自社のIP資産を保護し収益を確保するためにどのような方法をとっているのでしょうか。
クウェートを拠点とするスタートアップ企業ScansXは、2023年にSarah Aboerjaib氏により設立されました。人工知能 (AI) を搭載し、非侵襲的な近赤外分光を使用して脳の損傷を検出するハンディ・スキャナーの開発を行ってきました。Aboerjaib氏はこの製品の市場投入にあたり、発明を保護し成長を続けるために特許と商標を取得し、複雑なIP管理業務を乗り切る必要がありました。
イノベーションに取り組むアントレプレナーは、最初からIPを戦略上の優先事項と考えるべきです。
トルコの医療スタートアップ企業PONS Teknolojiは、兄弟であるIlker Hacıhaliloğlu氏、Soner Hacıhaliloğlu氏により設立されました。同社もAIを活用し、病院設備のない場所でも、高品質な超音波スキャンが可能な可搬型の超音波画像診断システムの開発を行っています。PONS TeknolojiはIP権を獲得することでイノベーションを拡大し、特に辺境地域において、命を救う診断技術をより多くの人へ届けるための準備を整えています。
データの優位性を利活用
今やAIとデータ分析は医療のイノベーションには不可欠であり、この分野のIP保護の重要性もかつてなく高まっています。メドテック企業にとってデータとは単なる技術の副産物ではなく、命運を握る資産であり、AIモデルの有効性を支えるとともにライセンシングやコラボレーションへの道を切り開くものです。
たとえば、ScansXの脳スキャナーは、多様なデータセットを用いてトレーニングしたAIモデルに基づいて脳損傷を正確に検出します。「当社のデータは技術そのものと同じくらいの価値があります」とAboerjaib氏は述べます。強固なIP戦略を通じてこうしたデータを保護することは、イノベーションの保護のみならず、イノベーションによって市場の可能性を十分に引き出すためにも欠くことができません。
PONS Teknolojiも同様のアプローチについて語りました。同社の超音波システムも膨大な量のデータを生成します。こうしたデータはシステムのAIアルゴリズムを改善し、診断の正確性を保証するために必要不可欠なものです。「当社のシステムは多様なデータセットの作成を目指しています。このために、病勢進行の各ステージの医用画像データを取り込み、疾病の初期ステージと末期ステージのデータ間の差異部分を処理しています」とSoner Hacıhaliloğlu氏は述べます。自社のデータとアルゴリズムのIP権を確保することで、PONS Teknolojiには、製薬会社やその他のステークホルダーとパートナーシップを結び医療分野における影響力を広げていくという道が生まれました。
コラボレーションはイノベーターにとっての鍵
メドテック分野のイノベーターにとって、自社IPの価値の最大化を目指す基盤となるのがコラボレーションです。製造業者、医療プロバイダー、研究機関とパートナーシップを結ぶことで、企業は技術開発や市場投入を迅速化できるとともに、自社のIPは効果的に保護され、活用されます。
タイの企業であるMeticulyは、骨再建インプラントの3Dプリントに特化しています。36件の特許を取得し、10カ国もの国で商標の保護を受けて、優れたIPポートフォリオを構築しました。これにより、自信を持って国際的パートナーとコラボレーションできるようになりました。IPを戦略的に使用することでMeticulyはリーチや影響力を拡大し、医療ソリューションを世界中の市場に展開しています。
ScansXおよびPONS Teknolojiもコラボレーションの価値を理解しています。ScansXは、ライセンス契約の締結を計画しています。ライセンス契約が実現すれば、厳しい契約条件下でScansXの脳スキャナーを他社が製造・販売できるようになります。これは技術品質を保証するだけでなく、グローバル展開を促進するうえでも役立ちます。一方、PONS Teknolojiは複数の国の医療プロバイダーとコラボレーションしており、自社のIPを活用して戦略的パートナーシップを結び、規制当局の承認や市場投入を円滑化しています。
規制面の困難
メドテック企業にとっての課題は、IPの確保のほかにも多くあります。医療用デバイスを市場投入するためには複雑な規制状況に対応する必要があり、その内容は司法管轄区によって著しく異なります。IPはこのプロセスにおいて、法規制遵守と市場アクセスのための基盤として重要な役割を果たします。
スタートアップ企業に向けたアドバイスは、IP戦略を策定するべきだということです。これはビジネスの成長、投資家の信頼感獲得、市場投入の支えとなります。
ScansXは、クウェートの規制当局から脳スキャナーの承認を受けるための手続き中で、国際展開も計画しています。同社のIPポートフォリオには米国特許商標庁 (USPTO) へ行った仮特許出願も含まれています。こうしたIPポートフォリオは、同社が新たな市場へ参入する際に不可欠な承認を得るため、また自社の技術を保護するために、重要な役割を果たすものです。
シンガポールに拠点を置くVivo Surgicalは医学博士のKevin Koh氏によって設立されました。同社もIPを規制面の課題への対処に活用しています。同社が手がける内視鏡ロボットは、消化管手術の支援のために開発されました。現在、動物試験の最終ステージの最中で、近いうちに初の臨床試験を開始する予定です。Vivo Surgicalの技術は27件の特許取得と21件の商標登録によって保護されており、2027年を予定している市場投入のために必要な厳しい法規制対応プロセスを乗り切るうえで好位置につけています。
PONS Teknolojiの超音波システムは現在、米国および欧州経済領域での市場投入に向け、米国食品医薬品局 (FDA) およびCEマーキングの認証取得手続き中です。また同時に、非常に厳格な両地域の法規制基準への適合も進めています。同社の強固なIP戦略の背景には、成功を収めてきた数々の臨床試験があります。Soner Hacıhaliloğlu氏は、「私たちは、5,000回以上のスキャンを行い25万枚の画像を作成してきました。当初の注力先は女性の健康と癌の発見です。私たちはナイジェリアで助産婦と協業し、都市部から離れた地域に住む若い妊婦の超音波検査を行い、妊娠初期段階の問題を検出しました。これにより同国の妊産婦医療は大幅に改善されました」と述べました。
IPはイノベーションのための資金調達を支える資産
資金確保は必要不可欠です。高精度な医療テクノロジーの開発には多額の投資が必要であり、健全なIPポートフォリオは投資家を呼び込むための強力なツールとなり得ます。
Vivo Surgicalの内視鏡ロボットを市場投入するためのコストは3,000万米ドルを超えると見積もられています。同社の包括的なIP戦略は、開発と臨床試験に必要な資金を確保するうえで重要な鍵となってきました。
IPは保護されるべき価値ある資産であり、収益源としての大きな可能性を秘めています。
ScansXは財務上の難題に直面したため、同社の脳スキャナーは現在もMVP (Minimum Viable Product、最小限のプロダクト) ステージに留まっています。Aboerjaib氏は、「このような先端技術の開発を進めるには多額の投資が必要です。私たちの発明がコンセプトから市場投入へと辿り着くためには400万米ドル以上が必要でしょう」と述べました。Aboerjaib氏は自己資金の投入とローンの借り入れで初期費用を賄っています。同社のIPポートフォリオは、市場投入実現に向けて支援する投資家やパートナーを呼び込むための鍵となることでしょう。
PONS Teknolojiはこれとは別のアプローチを行い、ベンチャーキャピタルの投資ではなく補助金の確保に注力してきました。Soner Hacıhaliloğlu氏は、「当社技術の初期の開発コストは25万〜30万米ドルでした。私たちの目標は、研究成果を市場に出せる製品へ変えることでした」と述べました。早期に強固なIP基盤を築いたことで、PONS Teknolojiは非希薄化資金調達に成功しました。これにより、新技術の市場投入に伴う財務リスクを低減しました。
IPを医療テクノロジーに活用
メドテック企業にとってIPはただの保護策に留まりません。IPは成長とグローバル展開のための戦略的ツールです。優れたIP戦略を立てることで、企業は複雑なグローバル市場を前進し、資金を確保し、パートナーシップを築いてイノベーションを進めることができます。
Vivo Surgicalはまさにその実例です。同社の内視鏡ロボットは、市場の既存の内視鏡製品に追加される製品です。新しい製品を作るのではなく、既存の内視鏡の性能を強化することで同社は開発と規制関連のプロセスを簡素化し、イノベーションに注力することができました。このアプローチが優れたIPポートフォリオと合わさることでVivo Surgicalは米国、中国、アジア太平洋地域などの主要市場で成功を狙える位置についています。
Koh氏は、「イノベーションに取り組むアントレプレナーは、最初からIPを戦略上の優先事項と考えるべきです。適切なIPマネジメントをすれば、企業の市場での成功や評価に影響を及ぼすことができます。IPマネジメントには高額な費用がかかることもありますが、それでも不可欠なものです。スタートアップ企業はIPに投資し、市場での立ち位置を保護し向上させるために賢くIPを使うべきです。IPは組織の最上位レベルにおいて真剣に検討されるべきです」と述べました。
PONS Teknolojiは新しい市場に進出するにあたり、同社の技術が国際的に保護されるようにWIPOの特許協力条約 (PCT) システムを通じた特許保護の拡大を計画しています。Soner Hacıhaliloğlu氏は、「スタートアップ企業に向けたアドバイスは、IP戦略を策定するべきだということです。これはビジネスの成長、投資家の信頼感獲得、市場参入の支えとなります」と述べました。
ScansXのAboerjaib氏もこれに同意します。「私の中小企業およびスタートアップ企業へのアドバイスは、自らの専門知識、人脈、意欲を活用するべきだということです。IPは保護するべき価値ある資産であり、収益源としての大きな可能性を秘めています」
違いの判るアントレプレナーは、IPを単に守りの盾として使用するだけでなく、自社のイノベーションを市場に食い込むための槍としても使用しています。堅固なIP戦略はイノベーションを保護し資金を確保するために欠かせません。ScansX、PONS Teknoloji、Vivo SurgicalのようにIPを効果的に使用することで、企業は医療を進歩させるだけでなく、グローバルなスケールの影響力を持つことができます。
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本記事で紹介した企業は、 WIPOグローバル・アワード 2024の受賞者の一部です。WIPOグローバル・アワードはIPを活用してビジネス価値の創造に取り組む中小企業、スタートアップ企業、大学発のスピンアウト企業を対象にしています。
現在、 WIPOグローバル・アワード2025 への応募を受付中です。本年は、受賞企業の中から本アワード史上初となる最優秀女性アントレプレナーおよび最優秀若手アントレプレナーも選出される予定です。
受賞者には、商業化戦略に関する個別のメンタリング支援、WIPOのリソースへのアクセスなどが提供されます。
世界中の医療とIP領域におけるWIPOグローバル・チャレンジ・プログラムは、健康と医療テクノロジーへのアクセス、イノベーション、技術移転、貿易との間にある複雑な関連性についての認知度を高めることを目指しています。IPがツールとして活用され、世界中で最も差し迫った医療ニーズに応えるための一助となることを最終目標としています。